平成18年6月25日(日曜日) 日南おろち100Km ウルトラマラソン

いやぁ。。。 ホントありがとうございます。
しかし、63キロ地点の多里(たり)小学校を過ぎてからあんなにキツイとは・・・。
フルマラのサブ4より、おろち37のサブ4の方が絶対厳しいと思う・・・。
今回のマッハはもちろん、過去の37キロチャレンジャーの皆さんにも頭が下がります。 しかし、ライダーは凄い。 12時間台なんて・・・、100キロトータルキロ7.5分やん! おまけに雨の中、完走後にバイクで鳥取から帰って来るか??? さすがにおじさんビビリました。
しかし、雨が降って良かった。 一昨年のようなピーカンだったら完走できていたかどうか花札、いえ甚だ疑問です。

といったところで、今回も、すべての皆さんに感謝を込めて、おろち蒲焼き大作戦の巻、お届けします。 長文になりそうですので、お暇な方、よろしければ、どうぞ目を通してやってください。
それでは、始まり始まり。。。

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おろち蒲焼き大作戦・・・、それは2年前にスタートした。
2004年のあの日、これ以上ないほどの酷暑の中、僕は50数キロでフラフラしながらリタイヤ。 バスに収容され、(中国山地のバカヤロー!)心の中で連呼しながら眠ってしまった。 その後、何百種類のガッツポーズをゴール地点で見守った。

(おめでとう!)そう思いながら、心から悔しかった。

時は流れて2005年、今年こそはと思いながらもJCの事業と重なり、仕方なくエントリー回避。 そして迎えた2006年、おろち前哨戦と位置づけた宮古島ワイドーマラソンにて、何とか初ウルトラ制覇。 その勢いで週に2回ほど20キロ走るトレーニングを続けながら、迎えた6月24日、戦いの前日、曽根の喫茶店アリスウインドに戦士達が集結した。

ライダー、マッハに、応援団のママ、それに見送り隊長昆布平師匠親子に竹内先輩、ぐ様、どの顔もおろち経験のある勇者達だ。そして応援団のラリル国王御一族は、キャンプを兼ねて既に日南町で待っているはずだ。
「天気ええから、バイクで行くわ」
ライダーが、ビールをお代わりしながら予想外のコメントを発する。
 「バイクで行くって・・・、300キロくらいあるで」
「ええやん、おもろいやん」
何が面白いのかは不明だが、僕の車に、マッハとママが乗り込んで、いざ決戦の地、鳥取県日南町に向かって旅立った。

宿泊先は2年前と同じ浅田邸。言わずと知れた浅田さんちの別宅だ。
おろちマラソンは、旅館や宿泊施設の他に、町の人々が自宅を開放してランナー達を受け入れている。 民泊と呼ばれるシステムだが、地元の人と触れ合えるこのシステムを僕はいたく気に入っている。 2年前は会場に迎えに来てくれた浅田雅史さん(推定年齢40歳、丸刈り、ずぼら、好物アイスクリーム)だが、2回目とあって、気楽なものだ。

「あのぉ、浅田ですが・・・」前夜祭会場で僕の携帯の向こうで懐かしい声がする。
「お久しぶりです。どうさせていただいたらよろしいでしょうか?」
「適当に家まで来てください」いきなりずぼらをかまされた。

浅田邸に到着すると、雅史さんが赤ちゃんを担いで玄関前で待っていてくれた。
そう言えば、前回来た時は、まだ奥さんのお腹の中にいたはずだ。
「待望の男の子です」雅史さんは嬉しそうだ。
見るとほっぺたプヨプヨの元気そうな男の子だ。(仮名マイケル、推定年齢1歳、好物オッパイ)奥からあやちゃん(推定年齢8歳、嫌いなもの勉強)、なっちゃん(推定年齢4歳、好きな遊びマイケルのほっぺたひっぱりごっこ)、2人のお姉さんが登場する。 あやちゃんもなっちゃんも大きくなっている。感激した。

「あやちゃん久しぶり!」
話しかけるおじさんに、2年前とはうってかわって、あややは恥ずかしそうに雅史さんの陰に隠れた。 (これが自我の目覚めか!)おじさん感動しました。
食卓では、ばぁちゃん(推定年齢62歳、趣味おしゃべり)と目を合わせるとどんどんとお皿が増えるので、わいわいと話しながらも、時折視線を外す。。。が!外したその先に、じいちゃん(推定年齢65歳、趣味ビール注ぎ)がいて、ビールをシュポッと抜かれる・・・。 食事の途中で、雅史さんと林道について話した。

「しかし、あの林道はきついですねぇ」
「そうですよねぇ」
「あの坂はキツイので、地元の人は大変ですね」
「何を言ってるんですか?地元の人はあんなとこ行きませんよ」 コラコラ・・・。

1時間ほどの間に、1週間分くらいの食事をいただいて、翌日に備えることにした。
午前5時。スタート地点には、2年前とは比べものにならないくらい多くのランナーがいた。 そう言えば、昨日の夜じいちゃんが言ってたっけ。
「おろちマラソンも最近すっかり定着してきて、申し込みが増えてとってもみんな喜んでいます」
聞くと、某県会議員さんの一声でスタートした町おこしイベントで、最初はそんなの無理、っていう声が大半だったらしい。でもこの盛況をみると、やっぱみんなで力を合わせて、頑張って企画して、運営して、誘致して、・・・そんな努力に神様は応えてくれるんだと思った。

一昨年、30キロ過ぎから一緒に走って、50数キロ過ぎてから一緒にリタイヤした韓国のソウルマラソン名誉会長パクさん(推定年齢70歳、特技日本語)の姿も見える。
「ウルトラってのは、100キロ走るのがウルトラじゃないんですよ。もう走れなくなるまで、時間がいっぱいまで走るのがウルトラマラソンなんですよ。。。もう少し走りましょう」
2年前の名言が僕の耳元で蘇った。
30歳も年上の人に励まされた思い出が、なんだかとっても懐かしい空気となって会場を支配した。 ホッペをペシペシッと2度叩いて、僕とライダーはスタート地点に立った。
小雨交じりの悪天候。(これで気温はそんなに上がらない。運が味方してるぞ)無理にそう思って腕時計をストップウォッチモードに切り替えた。
「頑張れ〜!ここに帰ってきてねぇ〜!」 沿道の誰かが手を振ってくれた。 「ぐぉぉぉ〜・・・。すぴぃ〜、すぴぃ〜。ぐぉぉ〜・・・」
37キロに参加する予定のマッハはおそらく熟睡中だ。
手を伸ばせば届く距離にある中国山地の山々に、2年ぶりの号砲がこだました。 湿気た空気と裏腹に、乾いた銃声が僕の背中を押してくれた。

さあ、始まった。 最初の関門は、36.5キロ地点だ。
この地点までに山を2つ?ほど越えるのだが、関門時間は5時間30分。 2年前は5時間15分かかってしまって、余裕がなくなったのだ。 今年は4時間30分までにここに到着し、熊よけの鈴をゲットする計画を立てていた。 飛ばしすぎを恐れながらの走りだったが、やはり本番。キロ7.5分のつもりが、知らず知らずのうちにペースが上がる。5キロ通過で33分・・・、キロ6分台だ。10キロ通過で65分!ペースは落ちるどころか上がっている。 (これはちょっとまずい!) そう思った僕は、10キロ地点でトイレ休憩することにした。ライダーは後方だ。 まだ早朝なので、トイレには短い行列ができていた。何となく少し焦るのだが、ここは長い戦い。腹をくくって順番を待って、懐かしのボットン便所で用を足した。 身体が軽くなった。足取りも軽い。 ここから自分のペースでゆっくり進めば良いのだ。僕は自分に言い聞かせた。

行列中にライダーはヒョイヒョイッと先に行った。 先に行くライダーに追いつけないまま、36.5キロ地点には、4時間10分で到着してしまった。 少し早すぎるけどまあいいか。 関門の手前では小学生の女の子達が手にいっぱいの鈴を持って、僕たちを出迎えてくれた。 到着するランナーに駆け寄る子供達。その度に聞こえる、シャンシャンッ・・・という優しい音色が心地良い。 鈴の音色ってこんなに優しかったっけ???

2年前は、この子供達に「もう鈴ないよ」「売り切れ」とか言われたのだが、1時間も早いと、鈴はまだまだいっぱいある。僕には3人の女の子が駆け寄ってきてくれた。 全部の鈴をもらいたかったのだが、そうもいかない。 僕は一番最初に駆け寄って来てくれた女の子から鈴をもらった。 小学校4年生の瑞穂ちゃんの鈴だった。

“終りまで、力一杯がんばってください”

鉛筆でそう力強く書かれていた。 感激した。
「2年前は鈴が売り切れで、林道で熊が出たらどうしようかと思ってましたよ」
「大丈夫ですよ。月の輪熊ですから。・・・ヒグマじゃないですよ」
漫才ならおもいっきり突っ込むような、昨夜の雅史さんとの会話を思い出した。
大阪に帰ってから、“鈴見せてください”と言うマッハにこの鈴を見せると、
「深いですねぇ・・・。終りって、100キロ地点が終りとは限らないですもんねぇ・・・」 とか、しみじみと言われたのだが、僕はこの鈴に、この後何度も励まされることになる。

40キロの手前から、魔の林道に突入した。
相変わらず、突然この林道は現れる。うっそうと茂る木々。 降り続く雨のせいもあって、道に落ちている葉のおかげで若干滑るのが不安だ。 何キロか急激な登り坂の後に、猛烈な下り坂、それを3回ほど繰り返すと50数キロ地点、林道のてっぺんだ。
登りを走ることは僕の実力では不可能。計画通りに、下りをキロ6分以内で走って、登りは全部歩く作戦をとった。林道の一つ目の峠を駆け下りた地点のエイドで屈伸していると、驚いたことにライダーが後方から現れた。
「下りで40人くらいごぼう抜きしてやった」 自慢げにポカリを飲み干すライダー。
「しかし、なんでライダー後ろにおってんやろ?」
「俺、30キロくらいでウンコしてたから」
 そんな会話の後、ライダーはビューンと前方に消えた。そのスピードに、ゴールまで二度と会うことはないだろうと、僕は確信していた。

50キロ地点を7時間以内で、と思っていたのだが、50キロ通過タイムは6時間10分。 余裕だ。宮古島の時より早い!何だかいけそうな気持ちになってきた。
50数キロ地点の林道のてっぺんを過ぎると後はほとんど下りだ。 この下りなら、まだ何とかキロ7分くらいで走れる脚は残っている。 僕はラリル国王一族やママが待っているはずの63キロ地点の多里(たり)小学校のことだけを考えて走った。

2年前にどこでリタイヤしたのかその場所を特定したかったのだが、よくわからなかった。 林道の出口もまた突然現れる。
トンネルの向こう側のように、妙に明るい景色がハガキサイズにくっきりと見えた。
(やった!林道をやっつけたぞ!)
よく見ると、出口の景色は左にめちゃめちゃ傾いている。
(これ・・・・・、林道出て右やったら、また無茶苦茶な登りやん・・・)
失速しそうになる僕の目に、誘導係のボランティアの人が振るスティックが目に入った。
左にゆっくりと動いている。 (やった、下りや、ラッキー)
「ここから多里小学校までは、ずっと下りです」 誘導員の方が親切に声をかけてくれた。
心の中で小さくガッツポーズをかましてやった。

63キロ地点の多里(たり)小学校には、8時間40分で到着できればと思っていたが、8時間10分で到着した。ママと国王が、入り口の所で手を振ってくれた。 嬉しかった。 余裕なんかないくせに、思わず、サタデーナイトフィーバーのポーズを取ってしまった。(古っ!) 聞くと、ライダーは10分前にリスタートしたらしい。

「めちゃめちゃ元気やったで、あのオッサン」 国王が言う。
楽しみにしていた団子汁に雨の滴がボチャボチャと入るが、まったく気にならない。
一気に食べ干して、HGスタイルの国王ご子息、ゆうた君と記念撮影。
お幾どのは犬を抱きながら、励ましてくれた。少し休んで、やる気が沸々とわいてきた。 「この後の坂ってどんな感じ?」 僕の質問に国王は口ごもる。。。
「いやぁ。・。・・・。6キロくらい登りかな・・・」 余裕のなかった僕は、この言葉をそのまま聞き流してしまった。6キロの登りなんて珍しくも何ともないのだ。

が!!!リスタートして、すぐ僕は思い知ることになった。

70キロまでの登りがこのマラソンの最難関だ!無茶苦茶だ。歩くだけで脚がつる。 太腿を両手で押さえながら、必死のパッチで前へ進む。キロ10分?無理無理・・・。 12分で上出来だ。37キロ挑戦組のみんなは、よくこんな坂走ったと思う。感心した。。。 何とか頂上にたどり着いた。が、もう下りといえどもキロ7分でなんか走る脚は残っていない。 恐らくキロ9分〜10分くらいのスピードで、78.5キロ地点の関門を目指した。 残っていたはずの貯金が気づくとどんどんと減っている。まるで理事長時代だ・・・。 そんなことを言っている場合ではないが、そうめんの待つ78.5キロが果てしなく遠かった。。。

関門に到着すると、ここでもママが先回りして待っていてくれた。 傘を差して立つ、ママの顔がちょっとひきつっている。 (もしかして、俺ってそんなに悲惨な感じなんかな・・・) ちょっと不安になった。そうめんを食べた。2杯食べた。美味しかった。
「自分も食べたら?」 ママに言うと、
「そうはいかんやろ・・・。しかしライダーにだいぶ差つけられたな・・」
「いや、彼は凄いよ。速いよ」
「頑張って。85キロでも待ってるから」 そう言って、ママは車でぶぅ〜ん、と行った。 (おいおい・・・ちょっとだけでええから乗せてくれよ・・・それ俺の車やで・・・)
自分の車に置き去りにされる絵は、なんだか涙を誘う絵だ。

そして僕はまた走り出した。
85キロ地点の手前にも関門があるのだが、この関門は浅田さんのおじいちゃんが仕切っている関門で、あやちゃんやあやちゃんのお母さんも待っていてくれた。
公の関門なのだが、テントには、僕とライダーとマッハのゼッケン番号と名前が書かれた紙が貼られていて、頑張れ!とあやちゃんの字が元気に躍っている。 僕の姿を見ておじいちゃんが言った。
「もう大丈夫ですよ。後15キロ頑張って!」
嬉しかったのだが、宮古島の時とのギャップが激しかった。
宮古島ではこのあたりでは、ギンギンに走っていたのだ。
やはり坂は大敵だ。
「もう少しでうちの家だから、そこでばあちゃんがスイカ切って待ってるから」
おじいちゃんが一生懸命励ましてくれる。
「ゴールではさっちゃん(推定年齢28歳、雅史さんの妹、可愛い)が待ってるし・・ ・雅史は家でテレビ見てるけど・・・」
さっちゃんが待っているの言葉に僕は少し元気が出た。

この関門から浅田家は直線で見える距離にある、、、のだが、僕は歩いて浅田家に向かった。 ママは約束通り待っていてくれた。噂のスイカを2切れシバいた。雅史さんはテレビではなく、マイケル(仮名)を担いで表で待っていてくれた。

さあ、後15キロ!残り時間は2時間強!最後の一踏ん張りだ。
考えれば、まだ宮古島よりも時間的には余裕がある。
この日何度もじっと見た鈴をもう一度見つめて、メッセージを読み直して、僕は走り出した。
「ゴールでみんな待ってるから」 ママの声が後ろから聞こえた。

僕は地面を見つめながら足を動かし続けた。 前を向いて走るのはつらいのだ。
すると突然また例のやつが来た! 例えて言えば、家の中で下を見て、、、畳を見ながら歩いていると突然前に壁を感じた、みたいな感じでそれは現れた。また急激な上り坂だ。。。うぉ〜ん、と唸ってそびえ立っている。 (こりゃ走れん・・・) 思わず立ちすくんでいると、林道の最後くらいから抜きつ抜かれつしていた韓国からの若いお姉さんも、同じく立ちすくんでいる。 顔を見合わせて笑ってしまった。。。 お姉さんは、一足お先にとばかり、ゆっくりと歩き始めた。僕も負けじと後ろをついていった。

この坂を上りきったところで、100メートルほどお姉さんに差を付けられていた。 そして、下りだ。もう貯金はない。走れないとか言ってられない状況だ。 前を行くお姉さんは、景気よくかなり先を走っている。 僕も宮古島を思い出すかのように脚を動かし始めた。

この下りが95キロの関門まで続いているはず。これをキロ7分で下りきれば、5キロ残して1時間、安全圏に入るはずだ。 少し走るとゴジラ走りが軌道に乗ってきた。 やっぱり不思議だ。やればできるもんだ。

キロ7分くらいで駆け下りている。 と、ここでアクシデント、右足の裏がプニュッ、という音を立てた。(ん???) 聞いたことのない音に僕はびびった。
止まって足の裏を確認しようかとも思ったが、恐ろしい光景を目にすると戦意喪失しかねない。僕は気のせいだと思って95キロまでとにかくゴジラ走りを続けようと誓った。

故障中の膝ブレーキのおかげで、両脚ふくらはぎは、かなりの振動で一歩ごとにブルブル震えている。 骨盤あたりもドリルで道に穴を開けている、作業中のような感覚だ。

と、ここで今度は、お尻のあたりになま暖かいものを感じた。

僕は血だと思った。

ぐんそう殿の痔をおちょくっていたことを神に詫びた。
が、これも確認するのはやめて、95キロ地点をひたすら目指した。
到着した!95.6キロ地点だ!最終関門だ!残り4.4キロだ!残り1時間だ!

「残り4.4キロ!残り1時間じゃぁっ!かかってこい中国山地!」
と僕は雄叫びをあげた。エイドの高校生達がヤンヤと喝采してくれた。

ここで、足の裏は確認せずに、お尻だけ確認することにした。
そっと指で触れて、恐る恐る見てみると、赤くはなかった。。。とりあえず透明だった。
僕はホッとした。赤くなければ、この際、緑でも群青でもなんでもいいのだ。

頑張って走れば、14時間くらいでゴールできそうな気もしたが、ここは足の裏の件もあるので、ゆっくり歩くことにした。沿道のすべての人が拍手で迎えてくれる。嬉しかった。

スタート&ゴール地点は山と山の間にあるので、なかなか見えない。後200メート ルと言われても、まだ遙か遠くにあるような感じなのだ。

「後100メートル!頑張って!」
会場の手前でボランティアのおじさんが声を掛けてくれた。
(ボチボチ走ろうかな) と思った時に、僕のゼッケン番号と名前が放送で呼ばれた。

バックストレートに入った。
両手を高々と挙げてみた。
残り25mくらいだ。

思いっきり楽しんでやろうと思った。

韓国の人たちが、何を言ってるかわからないが、色々と声を掛けてくれた。
ゴールテープの向こうで、先にゴールしたライダーがデジカメを構えているのが見えた。
国王陛下御一族が手を振っているのも見えた。
さっちゃんも、ママもマッハも手を叩いて出迎えてくれた。
侍ブルーの完走メダルが、胸にずっしり重かった。 感謝感謝。

皆さんありがとうございました。

足の裏は、水ぶくれと血豆のタマゴが数カ所あっただけで、現在は完治に近い状態です。 宮古島の初完走も嬉しかったのですが、今回の方がずっと嬉しくて、ずっと楽しかったのが正直なところです。走っている最中は、例の如く、二度と走るか、と思っていたのですが、来年、もし誰かがおろち100にチャレンジするなら、一緒に走ってもいいかなと思えるところまで精神的に回復してまいりました。 誰か・・・、行く??? ちなみに、次回作は9月17日、歴史街道丹後ウルトラマラソンの予定です。 これまたきつそうなレースです。。。